あれから10年かぁ・・

それまで、津波って馬鹿でかい波が崩れ落ちながら陸に迫って来るもんだと思っていました。

ちょうどハワイとかのサーフィンの映像みたいに崩れてくる波・・・

 

でも違った。

 

海が溢れた・・・・

が正しい津波でした。

 

ちょうどその映像を地震の後、NHKのTVが映し出すのを観てました。

ただ観るだけしか出来なかった。。。。

 

その2週間後、クリニックの看護師、事務さん、近隣消防の救命士らと共に車で石巻に救援に行きました。

保健所からお願いされたのは、釜谷地区から雄勝地区(大川小学校もこの地区でした)の家を1軒1軒回って生存確認を・・・というものでした。

周辺には、我が子の名前を叫びながら泥濘に竿を刺し探す親御さん・・・瓦礫を撤去する自衛隊の方々・・・牛の死骸・・・

 

あの場にいた皆さんは10年経過した今、息災でしょうか?

これからも自分の人生を精一杯生きて欲しいと願わずにはいられません。

震災で亡くなった方々も、きっと残された人たちが人生をまっとうすることを望んでいると思います。

 

日本人一人一人が、自分の人生をしっかり生きることが一番の供養になるのでは無いでしょうか?

 

さあ、明日からまた頑張りましょう!

ウィルスなんかに負けないぞ!

 

 

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コメント: 1
  • #1

    てっちん (土曜日, 17 4月 2021 17:49)

    先日、交通事故で自分が消防に救急搬送され、お世話になりました者です。
    誰かを県内外いろんな病院に連れてゆくことが多いですが(自分では全くかからなかったが)
    噂に聞いたktec99、神業でしたね。
    発生から(not着院から)1時間ちょっとで頭部検査から顔面の縫合手術と処方まで完了。
    何も無駄がない、院全体を包む完全なチームワーク。
    今後の経過予測ができる明快な説明。
    本ブログの10年前東北救援に行かれた様子、その後の考え、
    院長の一貫した姿勢からと納得しました。

    どうか人々が、必要なときに必要な医療にアクセスできることで
    幸せに暮らせますよう。そしてできれば、そんな幸せを一人ひとりが近くにあってなんとなく当然
    でなく、いつも自覚的でいられますよう。

    さすがにスタッフさんたちとたくさん話すわけにいかず
    知りたかったのは、
     皆さん日々一服されるときなにがお好みでしょう?
    ということです。