
それまで、津波って馬鹿でかい波が崩れ落ちながら陸に迫って来るもんだと思っていました。
ちょうどハワイとかのサーフィンの映像みたいに崩れてくる波・・・
でも違った。
海が溢れた・・・・
が正しい津波でした。
ちょうどその映像を地震の後、NHKのTVが映し出すのを観てました。
ただ観るだけしか出来なかった。。。。
その2週間後、クリニックの看護師、事務さん、近隣消防の救命士らと共に車で石巻に救援に行きました。
保健所からお願いされたのは、釜谷地区から雄勝地区(大川小学校もこの地区でした)の家を1軒1軒回って生存確認を・・・というものでした。
周辺には、我が子の名前を叫びながら泥濘に竿を刺し探す親御さん・・・瓦礫を撤去する自衛隊の方々・・・牛の死骸・・・
あの場にいた皆さんは10年経過した今、息災でしょうか?
これからも自分の人生を精一杯生きて欲しいと願わずにはいられません。
震災で亡くなった方々も、きっと残された人たちが人生をまっとうすることを望んでいると思います。
日本人一人一人が、自分の人生をしっかり生きることが一番の供養になるのでは無いでしょうか?
さあ、明日からまた頑張りましょう!
ウィルスなんかに負けないぞ!
コメントをお書きください