あるお医者さんから伺ったお話しです。
以前は、患者さんやご家族から、
『すこしでも可能性があるなら、それに賭けてみたいと思います。先生を信じて手術を受けたいと思います』
『わかりました、全力を尽くします』
がっちり、信頼感!!!
っていうのがありました。
医師、患者関係を深くつなぐ瞬間でした。
でも、そんなのは今の社会は許さないのです。
現代の医療を取り巻く環境が許す光景は・・・
『すこしでも可能性があるなら、それに賭けてみたいと思います。ダメでも仕方ありません。手術を受けたいと思うのですが・・』
『いえ、それは医学的に根拠が薄いです。このケースでは抗がん剤投与がスタンダードで、それ以外の治療を行うのであれば、病院の倫理委員会の審査を経てから行う必要があります。さらに倫理委員会の審査を通るためには執刀医が私では難しいので、大学病院からこの手術に詳しい先生を招かねばなりません。しかも保険適応の手術ではないので10割負担となります』
はたして良い医療ってなんなのでしょう?
科学的に正しいのは後者ですが、人対人である医療を『科学』と割り切って良いのでしょうか?
特に日本人は、『納得できる』ということを重視する国民です。
欧米のように『正しい』ことだけが正義ではないはずです。
正しい医療を求めるのか、納得できる医療を求めるのか・・・もっと社会的にきちんと議論してほしいところです。
また、医療職の医師、看護師、救命士は、患者さんやご家族のニーズを把握し、説明できる知識や判断力、会話力などが問われますね。。。。
精進、精進・・・
nyar! (日曜日, 01 11月 2015 04:04)
医療の側も、専門性に逃げ込むというか、傾きがちな方が多いと感じます。
モンスターな患者さんが珍しくない今日この頃、普通の患者さんを守るためにも、仕方のないところはあろうかと。
一方で、患者さん側からのコミュニケーションも、極端な思い込みベースだったり、どうも中途半端になってしまっている気がします。
医療技術者、なかでも医師は、患者さんの命を預かるに足る専門性を備えているわけで、そこに全く尊敬の念も何も持たない接し方というのは、非常識に思われるのですが。
かつては、「だけど先生、テレビでみのさんが言ってたのと違う。」なんて、よくありましたが、あれはまだ平和な時代だったのですね。
まぁ、わけわからん専門用語をカマされて、「同意書です。ココにサインを」って言われてもスッキリしないのはわかります。
かくいう私も、町の薬局へ駆け込み、「正露丸ください!」、「サクロンありますか?」って、やってました。若かったなぁ。