母親の誕生日に集団的自衛権を思う・・

Nack5のウォーミングアップミュージック(大野勢太郎)のお誕生日メッセージに送ろうと思ったのですが、長文になったので・・・・ここに掲載させていただきます。

 

7月20日に我が母は84歳を迎えます。

昭和5年生まれ。

その後、7歳のときに支那事変が起こるのですが、日本国内では全く戦争という雰囲気は無かったようです。

11歳時に大東亜戦争(支那事変から含めることとされた)に突入。それでも日本本土が戦場になることは無く、国内は平和だったようです。

祖父が満州鉄道関係の仕事をしていたため、一家で満州に渡りました。

12歳から牡丹江高女という、満州唯一だった高等女学校に進学。

その後、哈爾濱で終戦を迎えたのは15歳の時だったそうです。

 

昭和20年8月、急遽ソ連が第2次世界大戦の対日本戦に参戦してきました。もはや大勢が決まってからの宣戦布告だったそうです。

8月15日の天皇陛下の玉音放送は哈爾濱で聞いたそうです。

それまで満州は平和だったそうです。

戦地にもならず、貧しかった中国人たちを使用人として雇いつつも、日本独特の雇用関係で、使用人らとも仲良くいろんな遊びをしたり、泊まりに行ったり・・・

ところが終戦とともにソ連軍が満州に攻め込んできたのです。

日本人らは終戦になったのだから、保護してくれるのだろう・・と考えていたようですが、ソ連兵は略奪、強姦、摂取を行い、反抗する日本人はどんどん殺されました。

その頃にソ連兵に捕まらないように、使用人だった中国人に子供を預ける人がいたそうです。

その時の子供が、中国残留日本人として1981年から帰国して肉親を探しにきましたね。

母も一歩間違えればそうなっていたようです。

 

命からがら大連まで逃げてきて、日本に帰国する船に乗り、博多港に着いたそうです。

その時の記憶がトラウマになっており、今でも戦争映画を観た夜などは悪夢を見てうなされます。

ソ連兵が機銃を構えながら『ダワイ!ダワイ!(手を挙げろ!)』と叫びながら家や逃げる途中の貨車に踏み込んでくる場面が出てくるようです。

母は70年前の出来事でずっとうなされています。

まさにPTSDです。

 

自衛隊は戦争状態になったら戦うのが当たり前じゃん・・・という人がいます。

集団的自衛権は国として当たり前の形なのでしょう。

私もそう思います。

自衛隊・・とか言わずに、日本国軍と言えば良い・・・

そう思います。

 

でも、兵士だって、PTSDになるんです。

そもそもPTSDという言葉、心の病が明らかになったのは、ベトナム戦争後のアメリカ軍の兵士からでした。

果たして安倍政権は、自衛隊員のPTSDのことまでアフターケアを考えて集団的自衛権を通したのでしょうか?

若い日本人の未来を奪ってしまう可能性、その対応、保証・・・・検討されたのでしょうか?

 

中学1年生の長女が聞いてきました。

『ねえ、集団的自衛権賛成?』

『うん、国の形としては賛成だね。国際社会の一員として日本が存在するためにはね・・・』

『じゃあ戦争になっても良いの?』

『集団的自衛権と戦争になるのは別問題だと思うよ。戦争をするかしないかは内閣総理大臣が決定するんだから・・・問題はその内閣総理大臣が、安倍さんだってことが信用できないんだよ・・』

 

あと1ヶ月で戦後69年が過ぎます。

日本は・・・日本人は・・・いったい何を目指すのでしょう?

私は先日まで、世界平和だと思っていました。

唯一の被爆国として、専守防衛、平和主義・・・世界中にこれを広めるのが日本人の役目だと信じていました。

 

 

今回の閣議決定・・・私はちょっと残念です。

 

お母さん、誕生日おめでとう。

私が日本人として埼玉県で医者をできているのは、あなたが無事帰国してくれたからです。

おめでとう、そしてありがとう。

 

ただ一人の息子より

 

 

 

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コメント: 3
  • #1

    Hなナース (木曜日, 17 7月 2014 20:32)

    お久しぶりです。集団的自衛権について賛成か、反対かどうあるべきか自分自身わかりません。国の進んでい方向性について無責任でいるつもりはないのですが、やはりまだよくわかりません。勉強不足ですね。自分も親になっているわけだし、社会的責任もあります。院長の記事に対し賛否を問うつもりはありませんが、今後も1社会人としてこのページをを勉強の場とし、拝読させていただきます。

  • #2

    nyar! (金曜日, 18 7月 2014 13:32)

    イラク・サマワでの平和維持活動。
    派遣された自衛隊員のうち、帰還の前後は不明ながら、在職中に16名が自殺しています。
    また、せっかく帰還できたうちの、25名が自殺しています。
    あなたの大事な人が帰ってこない現実。すべてを物語っている気がします。

  • #3

    久家彰子 (月曜日, 25 8月 2014 19:16)

    今日TVで見てコメントに参加させていただきます☆。゚+.(人-ω◕ฺ)゚+.゚
    お母様の御誕生日おめでとうございます、戦争も乗り越えられて色々な御苦労をそうぞうするしかない私ですが、御立派な医者に育て上げたお母様を御尊敬いたします
    病気になった時、困った時、最後に受け入れて頂ける御医者様が居るって心強く思いました、頑張ってください、応援しています♡(>◡<)♡

    私は一杯病気が有って御薬も色々沢山飲んでいます、メンタル的な病気もあります。
    数年前に背中から腰が痛くなってベットから立てなくなって、痛みで苦しくて救急車を初めて呼んだとき、受け入れてくれる病院が無く車の中で不安な時間を過ごした事を思い出しました、結局痛みの原因わ不明、ボルタレンの座薬と湿布をいただき帰ったのが朝方でした。
    今では病名(リュウマチ性多発繊維筋痛症)も解り改善してきましたよ。
    自殺願望は時々でちゃいます・・・今も・・・きっと主人も家族も友達も病院の先生も本当の私の事は解らないと思います、だっていつもニコニコしているからです
    自分で気持ちをポジティブに持って行こうと努力中です。(。◔`◡◔+)ゞ

    61歳のおばちゃんなので、文章乱れてすみません・・・(何でも歳のせいだと開き直る私です^^;)