自分の死を真剣に考えよう!

みなさんは自分が死を迎えるとき、どういう医療を望まれますか?

 

救急医療に携わっていると、数日に1回は心肺停止状態で救急搬送されてくる方がいらっしゃいます。

その9割以上がお亡くなりになります。

 

今朝まで元気で、普通に会社に行くって家を出て行ったのに・・・・

さっきまで元気に風呂に入って行ったのに・・・・

昨日まで普通だったのが、朝起きてこないから、見に行ったら・・・

今朝から頭痛がするって言ってた・・・

 

もし、あなたが自宅で死にたいなら、救急車を呼んではいけません。

でも助かるものかどうか、判断つきませんもんねえ・・・

 

癌とか宣告されていれば、家族と後のことをしっかり話し合いましょう。

自宅でみんなに囲まれて逝きたい・・とか、一応入院するけど高度な医療や延命処置はしないで欲しい・・とか。

 

もし不慮の事故や急な病気で救急搬送された場合は、病院でどこまでの治療をするのか事前に考えておいて下さい。

心肺停止では9割以上の方はお亡くなりになります。

たとえ心臓の動きが再開しても、脳の機能が戻る可能性はさらに低くなります。

我々が最初に救急隊に尋ねるのは、「誰か目撃者が心臓マッサージしてた?」ということです。

救急隊が現場に着くまで何もされていなかった方は、残念ながら脳の機能は戻らないケースがほとんどです。

したがって我々が高い医療費をつぎ込んででも、集中治療を行い、何とか回復に持って行こうと頑張るのは、目撃者が応急処置を行っていたケースです。

他の方は、はっきり言って看取りの医療なのです。

 

ただ、現代医学では高いお金を積めば、心臓が止まってても人工心肺を回して血液を送ることができます。

また、呼吸が止まってても人工呼吸すれば酸素は取り込めます。

あと数日は生かしておく(生きてるのか?)ことは可能です。

そのために数百万円の医療費をかけますか?

 

問題はご本人でなく、残された方達がどこまですれば自分を納得させられるか・・だけなのです。

普段から、人生の最後について、家族で話し合っていれば、「オヤジは普段からこう言ってたから・・」「○○ちゃんはこうだったから・・」と納得しやすいのではないですか?

 

とかく日本人は死というものを目の前から避けようとします。

でも高齢化社会になって、どんどん死が身近になってきているのです。

今のうちに、考えておきましょう。

いざとなって、悩むのはあなたの大切な人達なのです。

 

 

 

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コメント: 4
  • #1

    nyar! (金曜日, 23 5月 2014 12:07)

    そうですね。
    健康でいたい気持ちと、死について話すことは別ですよね。
    定年を迎える、60歳になった、子供が中学に入った... そんなとき、一度は話し合って「みて」ほしい。
    人工呼吸器をつなげ続けても、残るご家族のつらさが和らぐことはあまりないかなぁと感じますし、かえって余計な悩みを抱えてしまうことにもつながるんじゃないか、そんな気がしています。
    もしも同じ言葉を、お寺の和尚さんから聞いたら... 絶賛間違いなし!
    医者が語ると、少なからず誤解を受けることもありますよね。表裏一体なんですけど。
    最前線からの朗々たる響きに、寝ぼけ頭が一気に醒めました。(きょうも徹夜明け即昼勤突入)

  • #2

    かえるあんこう (金曜日, 23 5月 2014 19:17)

    もちろん病院での・・・・は望みません。
    が、状況によっては本人が望まない・・もあるのですね。
    趣味で潜っているの私は常に・と向き合った生活しているかもしれません。
    家族には自分の気持ちはつたえるようにしていますが・・・。
    救急医療最前線で戦っておられる先生のコメント
    率直で究極の言葉・・・考えさせられました。

  • #3

    Hなナース (金曜日, 23 5月 2014 21:20)

     記事にて問われている内容は明日孫の運動会の為遊びに来る母と話してみます。

  • #4

    baron (土曜日, 24 5月 2014 00:36)

    父親が倒れたとき、救急車が来るまで
    時間がかかっていました
    病院で救急車が来るまでの20分
    何もしてなかったので脳が機能していませんて
    言われました

    前回カテーテル治療をした心臓に
    心臓マッサージをしていいのか
    経験もないし
    ただ呼び掛けるだけしか
    できませんでした

    あのときマッサージしていればと
    思う時があります
    延命治療も、しませんとは即答
    できませんでした
    どんな姿でもいて欲しいというのが
    本音でした