行っていました・・・石巻。
やはり、関東で新聞やニュースを見てるだけでは伝わってない事がたくさんありましたよ。
まず、行って最初に驚いたのは、東北道古川ICで降りたとたん、パチンコ屋は通常に営業してるし、飲み屋・スナック・バー・・みんな普通にネオンが光っていました。石巻の隣町の保健センターに寝泊まりしたのですが、高台から町を見ると、関東より電気が点いている感じ。
そうか!ここは東京電力じゃないんだ・・・
地震の影響は、道路がところどころ段差ができている、墓石が倒れている、ブロック塀が斜めになった・・・程度。
イオンショッピングマートには、電池も酒も各種食材も豊富に並べられていました。
翌朝、いよいよ被災地石巻市へ。
これまた普通の風景を眺めながら、「おっ!石巻日赤!」とか言いながら、ボランティアセンターの設置された石巻専修大学(地図上の開成という辺りにありました)へ行きました。
確かに自衛隊はたくさんいるし、河川敷にボートはひっくり返ってるし・・・でも普通じゃん!
今回は3週間前からここで活動している、JIM-NETという団体に混ぜてもらって活動してきました。内容は、主に石巻市河北町という北上川の両岸で被害が多かった地区の人たちの安否確認、医療支援の必要性を調査。もし必要な人がいたら、支援をする・・というものでした。
当院のナース&同行の救命士さんやMRさんたちが回った地区は、川からかなり離れていた中島地区で、どこも普通に生活していた地区でした。普通の生活者にとってみれば、どこの馬の骨ともわからない奴らがやって来て、「ごかぞくの構成とどなたか医療が必要な方がいないか教えて下さい」って言われても、なかなか答えてくれません。結構苦労しながらも人海作戦で1地区を網羅しました。
さて、私は前日までに上がってきた医療ニーズに応じるべく、針岡地区へ行きました。地図で見るとわかりますが、北上川の堤防の奥に沼があり、さらにその奥・・津波は堤防を乗り越え、決壊させ、沼まで押し寄せたそうです。川から針岡地区の間はほぼ全壊。村ごと消失していました。後日、写真をアップします。津波の恐ろしさを実感し、その被害に遭われた方々に想いを寄せて下さい。
大川小、大川中・・子供達がたくさん津波にさらわれたそうです。
釜谷地区や女川町では町ごと全て消失していました。
でも隣町は普通に近い状態で生活できている・・・
今回の被災は、地震ではなく津波なのだ!ということをひしひしと感じました。
石巻市内中心部は地図でもわかるように海の近くです。中心部も倒壊家屋があり、結構な被害が出ていました。
ただ、少し山側に入れば、スーパーマーケット、コンビニ、道の駅まで通常に近い営業がありますし、町全体で見れば物資が不足している・・ということはないように見えます。
でも避難民は買うお金も不足していて、買いに行く足もない。今、被災した人達が一番欲しいものは、家、車、お金なのだろうなあ・・・
ボランティアセンターの倉庫には、支援物資が溢れかえっていました。医薬品もほぼ充足しています。日赤なんかは薬は2ヶ月分の処方をしていました。
今後、石巻に必要な支援は、がれき類の撤去、新たな建設、交通手段の確保、収入源の確保だと思います。今、政治の介入が必要な時です。しかし国会では今日も菅おろし、政府の批判だけです。この国はどうなってしまうのでしょうね???
コメントをお書きください