つらい夜・・・

曜日が火曜日に変わったばかりの夜中2時。1本の電話が当院にかかってきました。

「1歳10ヶ月の子供が耳を痛がっている。昼間近くの医者からフロモックスとカロナールという薬をもらったが、22時頃に1度使った。どうしたら良い?」

という内容の電話でした。

当院の事務はすぐに私に指示を仰ぎましたので、「もう一回服用させて良いよ」と答えました。

その後どういう経緯でかはわかりませんが、私が外来の患者さんを診察後、受付に顔を出すと、電話から遠くにいる私にも相手の声がはっきりわかるほどの激ったものでした。

 

代わろうか?と聞いても、「良いです」とジェスチャーで制せられ・・・・

その後、ボタンの押し間違えで、電話が切れてしまい、それでまたさらに激った電話がかかって来て・・・・

まあ、その内容も、お前の言い方が悪いとか、なんでそんな事をするんだ・・とか、本当にお前は先生に聞いて答えてるのか?・・・等々。

このおじさんの頭の中には、すでに耳を痛がっている子供のことは無くなっているようでした。

 

嵐が去った後、事務の女性に聞いたところ、どうやら「もう一度飲ませて良いですよ」と答えたら、「お前は坐薬を飲めというのか?」から始まったみたいです。

まあ、普通、カロナールと言えば飲み薬・・坐薬が存在するなんて私も今日まで知りませんでした。

その伏線として、このおじさん、当院に電話をかけてくるまでに10件以上の救急病院から「診れない」と言われたようで・・・当院の事務の女性にもそのことをガミガミ文句言ってたようです。

 

まあ、埼玉県内で「夜間の耳鼻科」と聞いたら、その内容なんか聞く前に、「当院には耳鼻咽喉科の医師がおりません・・・○○病院はいかがですか?電話してみましたか?」って言われるだろうなあ。

でも考えてみると、断った病院が文句を言われないのに、丁寧に症状を聞いて医者にまでおうかがいをたてた当院の事務の女性がさんざん文句を言われるのはおかしいですよね。

 

事務の女性は3夜連続の当直でした。彼女にとってはつらい夜になりました。

でもおじさんもきっと・・・耳を痛がる我が子を目の前に、つらかっただろうなあ。

一番つらかったのは、誰も診てくれなかった子供かなあ・・・

 

どうしてこんな事が起こるんだろう?

どこに問題があるんだろう?

 

☆Wikipediaより抜粋&加筆☆

救急告示病院とは・・・・

消防法29項により1964年の「救急病院等を定める省令(昭和39220日厚生省令第8号)」に基づき、都道府県知事が告示する病院である。

その要件は、

    1.救急医療について、相当の知識及び経験を有する医師が常時診療に従事

     していること

    2.エツクス線装置、心電計、輸血及び輸液のための設備・その他救急医療

     を行うために必要な施設及び設備を有すること。

    3.救急隊による傷病者の搬送に容易な場所に所在し、かつ、傷病者の搬入

     に適した構造設備を有すること。

    4.救急医療を要する傷病者のための専用病床又は当該傷病者のために、優

     先的に使用される病床を有すること。

とされている(省令第1条)。告示を受けていなくても救急に対応することはできるが、告示を受けていれば診療報酬や地方交付税が優遇される。

 

 

 

 

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コメント: 1
  • #1

    とある科学の電磁調理器 (水曜日, 30 3月 2011 16:41)

    まずは匿名で書いたことをお詫び申しあげます。
    見る人がみたら、わかる名前なので大変申し訳ござません。

    これはひどい・・・。患者の父親の憤りは明らかに間違った方向にむいています。
    まず、これを治療した耳鼻科医がきちんと薬をのんでも痛いかもしれないことを親に啓蒙ができていたのか?という疑問がでてきます。
    これができていればそもそも電話はこないかもしれません。

    次に、埼玉県内では夜間対応できない状況についてはこれは別に川越が悪いわけでなく、埼玉県全体にいえることでそもそも輪番についても川越の埼玉医科大学総合医療センターが夜間救急の撤退を表明したときに他の耳鼻科の医局は支援体制の不備とか医局員不足などを理由に断った経緯があったときいたことがあります。

    そもそも川越の医療センターはあの事件が起こる前まで越谷から大宮から上尾から所沢からとほぼ他の医局のおひざもとの救急医療を担っていたときいていたのをみていてよーやるわとおもいましたねぇ。
    あの事件から医局員がへってそれすら立ち行かず、疲弊したためのやむをえない救急からの撤退だったとおもいます。

    私は夜一睡もできず夜明かしして目のしたにクマをつくっている友人をみたことがあります。そのときに聴いた言葉はみたものは自分の経験になる。色んなものをみればそれだけ土壇場でたじろがずにすと・・・。
    まぁその友人もそこを去り、ずいぶん辛酸をなめたり、残ったものも窮屈な思いをしながら現在もがんばっている姿をみているとときどき自分はとおもうときはふとあります。

    まぁ、あまりにつまらない駄文と匿名でしかかけない矮小な私をわらってください。

    板を汚してすいませんでした。